茨城県北茨城市平潟町の平潟漁港に面した通称・初鳥山(はつとりやま)に戦時中建設された旧海軍の特攻艇「震洋(しんよう)」の格納壕(ごう)跡地周辺に崩落の危険性が高まり、周囲をコンクリート壁で覆う工事が進行している。今後、格納壕跡が直接人の目に触れることはなくなるが、「貴重な戦争遺跡があったことを知らせる看板の設置を」と求める声が地元から上がっている。
初鳥山に格納壕が建設されたのは、終戦間際の昭和20年7月。第141震洋隊が海から出入りするために海軍整備隊が山腹を掘削し、地元の国民学校高等科の生徒(現在の中学生)が掘り出した土砂や岩石を運び出す作業を手伝った。
震洋の搭乗員も付近へ宿泊し、「母が『特攻服姿の兵隊さんを見かけた』と話していた」と漁港近くに住む女性(80)。7月17日深夜から米英海軍が日立市へ艦砲射撃した際、一度は震洋隊に出撃命令が出たが、取りやめとなった(地元の郷土史研究家、丹賢一氏の調査報告書より)という。
▼落石対策工事
戦後も格納壕跡は残されたが周囲は軟らかく、崩れやすい凝灰岩(ぎょうかいがん)。同市が震度6弱の揺れに見舞われた平成23年の東日本大震災以降、崩落が心配され、地元の要望を受けて昨年9月から落石対策工事が始まった。
担当の県県北農林事務所によれば、初鳥山全体を崩す案も検討されたが、山が漁港や近隣の建物を強い海風から守り、漁船が港へ戻る際の目印ともなっていたため、コンクリート壁で土留めすることになった。
▼地元から要望
格納壕跡については同市教育委員会が記録保存のため平成29年2月、現地の測量調査や写真撮影を実施。市歴史民俗資料館(同市磯原町)では震洋を紹介するコーナーも設けているが、現場が今後公開される機会はなくなった。「そうした歴史的なものがここにあったと説明することも必要では」と近くに住む男性(63)は話す。
格納壕跡の保存を求めてきた同市の穂積健三さん(76)は「平和な世界を維持するため、こうした戦争遺構を後世へ伝えていくことは大切」と現地への説明看板の設置を求める。市教委生涯学習課は「そうした声があるなら関係部署と調整し、看板設置が可能かどうか検討したい」とする。(三浦馨)
■震洋 旧海軍が昭和19年8月に採用したボート型の特攻兵器。船体はベニヤ板製でガソリンエンジンを動力とし、敵艦船への体当たり攻撃を目的に船首へ爆薬250キロを搭載していた。1人乗りの1型(全長5・1メートル、幅1・65メートル)と2人乗りの5型(全長6・5メートル、幅1・86メートル)があり、6000隻以上が作られた。終戦前には連合軍の本土上陸へ備え、主に太平洋岸に配備された。
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August 15, 2020 at 02:11PM
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