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邪馬台国ロマンに迫る 吉野ケ里遺跡で石棺の開口作業 - 産経ニュース

重機で釣り上げられる石棺墓の蓋石=5日午前、佐賀県吉野ケ里町の吉野ケ里遺跡(千田恒弥撮影)

女王・卑弥呼(ひみこ)が君臨した邪馬台国(やまたいこく)の候補地とされる吉野ケ里(よしのがり)遺跡(佐賀県吉野ケ里町、神埼市)で5日、有力者を葬ったとみられる石棺墓の蓋石(ふたいし)の取り外し作業が行われた。弥生時代後期後半~末期(2世紀後半~3世紀中ごろ)の邪馬台国の時代にあたり、副葬品などが注目される。

石棺墓は4月に発見。長さ約2・3メートル、幅約0・7メートルで同遺跡の石棺墓では最大。未盗掘で、副葬品などが埋葬当時のまま残っている可能性がある。

板状の蓋石4枚で構成され、最も大きいものは一辺70センチ以上、重さ100~200キロと推定される。開口作業は、蓋石にベルトを巻いて重機で1枚ずつつり上げる方法で実施。県はさらに棺内を詳しく調査する。

同遺跡は国内最大規模の環濠(かんごう)集落で国特別史跡。平成元年、大型の祭殿跡など魏志倭人伝の記述と合致する発見が相次ぎ、邪馬台国九州説を勢いづけた。

祭殿や物見やぐら跡など邪馬台国をほうふつさせる発見で知られる佐賀・吉野ケ里遺跡。平成元年の調査以来、「ここから邪馬台国が見える」と九州説の根拠とされながら、卑弥呼につながるような墓は見つかっていない。今回、祭殿跡などと同時期の有力者の墓が初めて確認され、邪馬台国の謎解明へ期待がかかる。

同遺跡ではこれまでに、北墳丘墓と呼ばれる大型墓(南北約40メートル、東西27メートル以上)が発見され、銅剣やガラス製の管玉(くだたま)などが出土。歴代の王の墓とされているが、いずれも弥生時代中期(紀元前2世紀~同1世紀ごろ)で、祭殿などが築かれた邪馬台国の時代より数百年も古い。

今回見つかった石棺墓は丘陵頂上部に築かれ、重要な地域として注目されていた。日吉神社があったため調査ができず「謎のエリア」と呼ばれたが、神社の移転に伴って調査が実現。担当者は「30年以上手つかずだった場所。ここ以外に王の墓が想定されるエリアは見当たらない」と話す。

吉野ケ里遺跡以外に邪馬台国の時代を代表する墓は、福岡県糸島市の墳丘墓、平原(ひらばる)1号墓(縦14メートル、横12メートル)が知られる。国内最大の銅鏡(直径46・5センチ)を含めて40枚が出土。卑弥呼の墓との説も出された。

今回の石棺墓調査は、同時代の王の墓を通じて、当時の権力構造や古代の国家形成過程を考えるうえで重要な鍵を握る。(小畑三秋)

吉野ケ里遺跡で石棺墓1基発見、弥生時代後期の有力者か

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